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[41] 何故、シェリーフォン計画なのか 
2003/3/7 (金) 20:13:19 柿崎 唯HomePage
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何故、シェリーフォン計画なのか、

 GJ誌連載中の別宮氏「封印された第1次大戦」の連載は大変質の高い内容で毎回、興味深く読ませていただいております。シェリーフォン計画が日露戦争中にフランスを攻撃するという案から始まった、という説や、ロシアの総動員令が何故、戦争へと繋がったのか、など詳しく説得力のある内容に驚いています。

 しかし、1つ疑問に思ったところがあり、この場を借りて質問とさせていただく次第です。

  別宮氏はシェリーフォン計画が「自動的に」発動される代物であり、そして「唯一」の計画であったため、第1次大戦が引き起こされた、と述べておられます。
  ここで、私が疑問に思ったのは、何故、「唯一」なのか、ということです。
  確かに結果的にシェリーフォン計画がドイツの唯一の戦争計画となってしまっていたのかもしれません。しかし、これは明らかに異常です。

  嘗て、ビスマルクはデンマーク、オーストリア、そしてフランスと3回の戦争によってドイツ帝国を建設しました。この時のドイツ軍部はそれぞれの国に対する攻撃計画を立案し実行したこととなります。第2次大戦の時のドイツ軍部はポーランドやフランスなど対する国別に戦争計画を立案していました。
 
  別宮氏は、ルーデンドルフを中心とする若手参謀が会議と根回しで単純なフランス侵攻計画をシグナル戦争計画に変質させた、と書いています。しかし、何故ルーデンドルフ達はこの計画を推進してしまったのでしょうか?またドイツの指導層は何故これを受け入れてしまったのでしょうか?
  戦争において2正面作戦は最も避けるべき事態の1つです。しかし、現実のシェリーフォン計画は自ら2正面作戦を惹起させる作戦に思えます。ビスマルクのように1つの敵と戦うときは他からは手出しをできない状態にするのが理想でしょう。
  シェリーフォン計画は対フランス先制攻撃案です。この計画ではフランスとロシアが必ず敵になり、オーストリアは必ず味方となるという前提に立っているように思えます。何故、このような硬直した外交関係が続くと仮定したのでしょう。
確かにフランスとドイツの間にはアルザス・ロレーヌの問題がありました。しかし、だからといって必ず戦争になるとは限りません。また、ロシアとドイツは仲良くポーランドを分割した仲であり、エカテリーナ2世からこちら本格的な戦争は行っていません。日露戦争の最中にもドイツとロシアの関係は悪くなかったと思います。更にオーストリアとはビスマルク時代に戦争を行っている間柄であり、絶対に味方になると確定は出来ないはずです。
  シェリーフォン計画は49日間でフランスを打倒する事を目標としていました。確かに49日間でフランスを撃破するための作戦かもしれません。しかし、49日間でフランスを打倒出来るという保障は全くありません。非常にうまくいったと考えられるビスマルク時代の普仏戦争ですら終結までには意外と時間を要しています。
  もしドイツが非常に追い詰められた状況であるならば「シェリーフォン計画」という博打に賭けるのは悪くないかもしれません。しかし、そうではない時に、まして平時の事前研究として「シェリーフォン計画」を策定するのはどうも理解できません。

  シェリーフォン自身はともかくとして、小モルトケやルーデンドルフ達は何故、このような「シェリーフォン計画」を「国家の唯一」の戦争計画として選択してしまったのでしょうか?

                                柿崎 唯



[42] 管理人様へ 
2003/3/17 (月) 20:04:22 柿崎 唯HomePage
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管理人様へ、

  えーと、・・・。
レスがなかなか付かないようですが、こちらではしてはいけない質問だったのでしょうか?
そうであれば、場所を改めますが、・・・。

                 柿崎 唯


[43] Re:管理人様へ 
2003/3/17 (月) 20:22:10 F男
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 すいません、私もレスを楽しみにしていたのですが、
場所を改めるのなら続きをどこに掲載するのか教えて
いただければ幸いです。


[44] Re:管理人様へ 
2003/3/17 (月) 22:06:51 Webmaster さいだ
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 連載記事についての書き込みがあったこととその内容について、著者に連絡するように担当編集者に指示しておりますが、現在までのところ、この件についての著者、担当編集者よりの連絡は私には来ておりません。連絡があり次第、こちらに転記いたしますが、かならずしもレスがあるとは限りませんので、あらかじめご了承ください。


[47] Re2:管理人様へ 
2003/3/18 (火) 19:11:03 柿崎 唯HomePage
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▼ Webmaster さいださん
>  連載記事についての書き込みがあったこととその内容について、著者に連絡するように担当編集者に指示しておりますが、現在までのところ、この件についての著者、担当編集者よりの連絡は私には来ておりません。連絡があり次第、こちらに転記いたしますが、かならずしもレスがあるとは限りませんので、あらかじめご了承ください。

  了承しました。
  特に急ぐものではないのでもうしばらくこのまま待ってみます。

  今回の質問は別宮氏のサイトで行うか、こちらで行うか、悩んだ末に、こちらで行ったものです。
お返事が無いようでしたら、改めて別宮氏のサイトで質問してみたいと思います。

  内容的に「重い」内容かもしれません。ですから、誌上で回答頂いても結構です。

  ちなみに、シェリーフォンとシュリーフォンですが、最近はシュリーフォンが多いようですね。
  私は、昔々の本でシェリーフォンとあったのでそれを引きずっています。元がドイツ語ですから私自身は特に意識せず通じればいいや、という感じで使っています。
ですから特に意味はありません。

 


[48] Re3:管理人様へ 
2003/3/30 (日) 08:56:15 柿崎 唯HomePage
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皆様へ、

  レスが付かないようですので、別宮氏のサイトに移ってみます。

                     以上

                                 柿崎 唯


[45] Re:管理人様へ 
2003/3/17 (月) 23:17:34 風間祐一
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どうも風間です。

 別宮さんのサイトの掲示板に直接書き込まれた方が良いと思います。

http://ww1.m78.com/

 どうでも良いことなのですが、シュリーフェン計画を「シェリーフォン計画」と表記するのは何か意味があるのでしょうか?

以上です。


[49] 横レス失礼(1) 
2003/3/31 (月) 17:26:45 QUIET
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柿崎唯さん、こんにちは、QUIETです。

GJの別宮氏の論文は私も興味深く読ませて戴きました。氏の論文はオリジナル・シュリーフェン・プランではなくシュリーフェン・プラン改の欠陥を指摘するものであったと私は理解しております。

>  戦争において2正面作戦は最も避けるべき事態の1つです。しかし、現実のシェリーフォン計画は自ら2正面作戦を惹起させる作戦に思えます。ビスマルクのように1つの敵と戦うときは他からは手出しをできない状態にするのが理想でしょう。

おっしゃられる通り、2正面作戦を避けるのが理想です。それはドイツのベートマン首相らには十分分かっていたと思います。シュリーフェン計画は最悪のシナリオでのドイツが採るべき手段(保障)であって、自ら計画に沿って進んでいったものではないと思います。

>シェリーフォン計画は対フランス先制攻撃案です。この計画ではフランスとロシアが必ず敵になり、オーストリアは必ず味方となるという前提に立っているように思えます。何故、このような硬直した外交関係が続くと仮定したのでしょう。

先に述べました様にシュリーフェン計画はフランスとロシアが敵になった場合の軍事戦略であって、外交戦略とは無関係とみるべきではないでしょうか?外交について私の意見を述べさせて戴きます。

>確かにフランスとドイツの間にはアルザス・ロレーヌの問題がありました。しかし、だからといって必ず戦争になるとは限りません。

フランスと友好関係をもつにはアルザス・ロレーヌの返還を提案する必要があります。これをドイツ国内(カイザー、軍部、資本家など)に納得させる事は至難のわざだったでしょう。

>また、ロシアとドイツは仲良くポーランドを分割した仲であり、エカテリーナ2世からこちら本格的な戦争は行っていません。日露戦争の最中にもドイツとロシアの関係は悪くなかったと思います。

ロシアとドイツはポーランドを分割したからこそ国境を接する関係になりました。ドイツにとってロシアは東の脅威となりました。ロシアは伝統的に領土拡張を続ける国家です。ロシアの関心が極東に向くのはドイツに好ましいからこそ三国干渉にも参加したと思います。


[50] 横レス失礼(2) 
2003/3/31 (月) 17:28:21 QUIET
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>更にオーストリアとはビスマルク時代に戦争を行っている間柄であり、絶対に味方になると確定は出来ないはずです。

絶対に味方になると確定はできなかったでしょう。しかし、普墺戦争はドイツの覇権をかけた戦争であり、ドイツ統一がプロイセンの小ドイツ主義で達成された今、争う種はなくなっていたのも事実です。オーストリアの関心はあきらかにバルカンを指向していました。ドイツとしては同じゲルマン国家でもあり、オーストリアのバルカン進出は好ましくもあり、支援していました。問題はスラブ国家のセルビアとオーストリアの関係でした。

ボスニア、ヘルツェコビナ問題で帆ゲルマン主義と帆スラブ主義の対立が生じたのはご存知の通りです。墺露の対立に対してビスマルクならどうしたでしょうか?柿崎さんはどうすべきだったとお考えでしょうか?(史実ではドイツはオーストリアを支持しました。そうなれば仏露は敵、墺は味方が確定します。)

可能だったかどうか別としてドイツがフランスにアルザス・ロレーヌを返還し、ロシアの意向通りボスニア、ヘルツェコビナはセルビアに帰属させる様にドイツがオーストリアに圧力をかけたとしてみましょう。そしてイギリスとの建艦競争から引き下がったとしましょう。戦争にはならなかったでしょうが、ドイツは何を得られたでしょう。オーストリアの信頼を失い、ロシアのさらなる要求に直面し、帝国主義の英仏との植民地経営は益々、水をあけられ重工業の発展は頭打ちになっていた可能性があります。当時の産業は海外進出か領土拡大なしには発展できない情況にありました。ここに後進国家ドイツの苦悩があります。

>  シェリーフォン自身はともかくとして、小モルトケやルーデンドルフ達は何故、このような「シェリーフォン計画」を「国家の唯一」の戦争計画として選択してしまったのでしょうか?

この回答は私にも分かりません。ご存知かと思いますが第1次大戦はドイツの予防戦争だったとする説があります。
シュリーフェンが亡くなりモルトケが後を継いだ時、ドイツの外交は失敗し、2正面作戦に直面する危機にありました。フランスは兵役を改定し1915年にはドイツのフランスへの優位は失われる情況にありました。またフランスからロシアへの金融投資額は益々拡大し、ロシアの軍備も1916年にはピークに達する情勢下にありました。ドイツにしてみれば2正面戦争が避けられないのであれば早く戦争が始まった方が有利だとの考えがあったと言うのです。

歴史を知る我々がドイツの判断を誤りだったと論じるのは簡単です。ただモルトケは「シュリーフェン計画」を「国家の唯一」の戦争計画として選択したと言うより着任した時、2正面戦争が避けられない以上、そういう戦争を行うには他に戦略がなかったと言うべきではないでしょうか。彼は軍人であり、外交は権限範囲外です。


[52] Re:横レス失礼(2) 
2003/4/5 (土) 16:07:44 柿崎 唯HomePage
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QUIETさんへ

  しばらくこちらを訪れていなかったので、レスに気が付きませんでした。

  元ネタの方ですが、別宮氏のサイトで論が進んでいます。
  結論としてはQuietさんとはかなり異なる結論となっています。

  ちなみに、別宮氏は第1次大戦では、ドイツは西部戦線ではフランス国境に最低限の守備隊を置いて、ロシアとだけ戦えば必勝だっただろうと述べています。
そしてフランスは恐らく参戦しなかっただろう、とも書いています。

  この論の続きに付いては、別宮氏のサイトでお願いします。

                                    柿崎 唯

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